ミイラ取りがミイラになった日。。。

昨日の投稿で、筆者が発達障害に診断された記事を投稿した。
筆者である私が発達障害の診断を受けるきっかけになったのが、シンガポールで働き、生活していた時の会社の同僚のことだ。今日は、そのエピソードを紹介したい。

私は2013年から2014年の前半までシンガポールにわたり、グローバルな会社であるIT系製品のユーザーサポートを担当していた。私の他にも日本人のスタッフがもう1人雇われており、私よりも早くその現場で働いていたのだが、彼には正社員の職歴がなく、ビジネスマナーが身についていなかった。そこで、彼の教育について指導役として私に白羽の矢が立ち、私に仕事の傍ら教育をしてくれということになって、シンガポールに向かったのである。

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会社の薄暗いタコ部屋に着いた時、すでに彼はいて、第一印象は予想外の好青年であった(彼はそろそろ30歳の若い男性だ)。
その時点では、私はいまだ発達障害のことは知らなかった。それでも、彼の様子が普通ではないことが徐々に分かってきた。
その特徴は、
– 人と話すとき、目を合わせられない
– 慣れない状況での新しい対応が苦手(すべて人に聞く)
– 電話が鳴らない暇な時は、常にイアホンをしている
– お土産菓子の箱の加工など、図工は得意
これが外見でわかる特徴である。

ただ、電話対応(日本語)を聞いていると、コーチがついていなかったために、会話がたどたどしい。脂汗をかきながら、たどたどしく会話していたのである。後から分かったことだが、彼にはいいお手本が必要だったのである(筆者が発達障害にもかかわらず、私自身がいいロールモデルとなったようである♪)。
これを聞いていたであろう彼の上司と会社の関係者はさすがに解雇したがっていたようで、私にもしきりに彼の意見を聞いてくるあたりが、やばかったのである。周知のように、私には気分障害があり、いつ穴をあけるかわからなかったので、彼に去ってもらうわけにはいかなくて、上司には必死にフォローした。
そこで、私は彼のビジネスマナーと電話対応の教育を施そうと企んだわけだが、彼はその手の本を自発的に読むような輩ではなく、マンガでないと手が伸びない悲惨な状態だった。
彼の教育は前任者がいて、ビジネスマナーと敬語、ビジネスメールの書き方などを必死に教育していたようだが、その後私がフォローアップしたビジネスメールの書き方で、彼が混乱してしまった。前任者と私の言うことが違うというのだ。
私の勝手な見立てなのだが、彼もやはり、結構強めの広汎性発達障害(ASD)で、前任者の教えた内容が絶対正しいと信じており、他の正解を受け入れられなかった。ビジネスマナーやメールの正解は一つとは限らないので、教育に苦労はした。物事絶対一通りなのがASDの頭の構造なのである。私もASDで、かなり直線思考なので、その点でぶつかってしまったところはあるかと思うのだが。。。

私の教育上のポリシーは、自主性に任せるということなので、私を反面教師にしながら自分で考えてみろと突き放した。これがたまたま奏功したようで、電話対応や会話が次第にできるようになってきた。これで、彼の解雇がまぬがれたわけだった。
発達障害とはいえ、勉強はできるということで、違うものだということが分かった。

彼は大学を卒業後就職したのではなく、NZへのワーホリ、アルバイトやニートで過ごしてきたというのだが、ここでいきなり海外の外資系企業に正社員では入れたというのが、自然ではなく、いまだに不思議である。少なくとも日本ではありえないことだ。
ただ、ブランクありまくりの私でも入れたくらいなので、海外現地採用の就職のハードルは意外に高くはないのである。

いわば、私=ミイラ取り、彼=ミイラという立場と言えただろう。そんな彼も1年もあれば成長し、IT系の業務知識はいまだいまいちながらも、決まったやり方であれば電話対応することも可能になった。ASDでも、手順が明確であれば顧客対応も可能な例と言えるだろう。
結局、生活上の問題で、私が先に会社を辞めてシンガポールを去ることになった。私が本当にミイラになってしまった日だ。最後には、彼が私の仕事のやり方に注意をする様だった。

彼が本当に発達障害であれば、担当者2人とも発達障害ということで、よく電話応対を回してこれたな、と冷や冷やする思いだ。その証拠に、クレーム対応は2人とも苦手で、顧客から強く出られると失言が出てしまい、謝罪するという繰り返しだった。また、私は癇癪持ちなので、そのような場面で怒りが爆発してしまい、どちらが顧客かという有様だった。。。

※参考文献
大人の発達障害 シーン別解決ブック(主婦の友社)