感情労働と発達障害 – 一当事者の考え

今日は、久々に非鉄系のネタを上げる。
あくまでも、専門家ではなく、一当事者の立場で本稿を書くことを最初にお断りしたい。

多くの職業がある中、対人サービスを行う、いわゆる「感情労働」と言われる分類があるが、多くの人が聞いたことがあるだろう。文字通り、頭脳ではなく「感情」を酷使する仕事のことだ(もちろん頭脳も使うことが多いが)。サポートや販売、医療福祉系の職業では、対人ケアという要素があって、感情労働の部類に入る。

書籍で言えば、「督促OL修行日記」(榎本まみ著)などは有名だろう。前職の同僚から提供してもらった本だが、感情労働の一面を見ることはできた。

筆者は、過去に休み休みITサポート系の仕事を数社でしてきたが、その中にはコールセンターでの製品サポートという仕事が含まれた。
打ち明け話だが、サポートしていた製品の中には製作を外注していて、中身がブラックボックスのため、障害時に自前で解決できないことがあった。そういう場合は会社に非があるので顧客には平謝りになるのだが、それがまさに感情労働ということだ。製品の障害時のような場合は顧客からの追及の激しさが頂点で、感情を酷使して消耗したものである。顧客を待たせてしまうと、怖いものなのである。

日本の文化が、感情労働に厳しさを増す結果になっていると考える(文化はそうそう変えられないものなので、始末が悪い)。
日本では「お客様は神様」という言葉があるように、商品やサービスを提供する側が顧客の要求を想像し、完璧に解決しなければならない、という顧客とは対等ではない立場に置かれる。これがうまくこなせないと、社会の片隅に追いやられてしまう。

参考までに申し上げるが、日本や韓国以外のほとんどの世界では個人主義なので人々は多様で、顧客とは対等であるため、日本のような問題は考えにくい。多様な社会というのは大変重要だが、日本では横並びで、多様性などはとても実現を期待できない。多様な社会が実現できない限りは日本の長い将来は明るくないと思う。

筆者も会社の同僚からよく、「気が利かない」と言われるのだが、日本の社会では気働きがよくできることが期待され、それができないと、空気が読めない=KYと言われてしまう。
これはまさに、広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の特性とも言え、筆者を含め、発達障害者にとっては、社会生活上のハンディキャップになる。広汎性発達障害の場合、あいまいな言葉を気働きさせて理解するのが難しく、明確な言葉(や視覚情報)のコミュニケーションが必要になるので、感情労働の現場にあっては、しばしば、顧客にすればそんなこともわからないのか、ということになる。
筆者は、サポートの仕事において、顧客や上司同僚の言いたいことは何か、要求は何かを推し量るのが苦手で、言い争いになることもしばしばあったものだ。

このように、発達障害者当事者にとっては何の悪気がなくても、その相手には悪意があるように感じるか、あるいはまったく無能な人間という評価を与えられてしまう危険があるので、やはり、社会的なサポートの仕組みは必要なのだろう。

現在の社会・文化背景では、健常者でさえ感情労働が厳しいので、発達障害者を含む障害者にとっては、感情労働を含む職業はおすすめしない。筆者のように、無理やり就くことはできても、仕事が自身のキャパを超えて周囲とのトラブルを招いたり、自身の健康状態にも影響するからだ。

ただし、発達障害は人それぞれな部分があるので、何のサポートなしでもうまくやっている人たちはたくさんいるはずで、発達障害者全員にサポートが必要とは言っていない。発達障害者は、まさに多様性の象徴ということができよう。社会が多様ならば、発達障害者の個性を活かし、社会を活性化させることができるということだ。

(参考文献:こころの健康だより 2015年6月号 – 東京都)
(アイキャッチ画像出典:無料写真素材ActivePhotoStyle – http://activephotostyle.biz/)